廃都に還る






 この世界のどこかにエル-ドラドと呼ばれる伝説の都があり、そこは常に金が溢れている楽園なのだという。
 アリアは幼い頃からエル-ドラドにまつわる話をたくさん聞かされていた。母からエル-ドラドへの道しるべなのだという指輪も譲り受けたが、自分がそこへ行くことはまずないだろうと思っていた。自分達の遠い祖先がエル-ドラドで暮らしていたというが、実際に行ったことがあるという人はアリアのまわりにひとりもいなかったからだ。
 幼い女の子がおとぎ話のお菓子の国やお姫様や妖精に憧れるように、アリアもエル-ドラドの伝説に憧れた。普通の女の子と同じように、そこへは行けないのを心の底ではちゃんとわかっていて、ただエル-ドラドに行けたらすてきだろうなとだけ思っていた。
 エル-ドラドの伝説を求める冒険家や野心家のために危険な目にあったことは度々あった。イグニスたちに誘拐されそうになっても、レクスに捕らえられワルキューレの一室に閉じ込められても、アリアはまだ伝説を認めていなかった。そういった危険にさらされたときは、自分を危険な目にあわせるエル-ドラドという伝説を憎みさえした。
 だが指輪は決して手放さなかった。エル-ドラドへの道しるべとして大切にしたのではなく、ただ肉親から譲り受けた大切なものだったからだ。
 やっと伝説を認めたのはオーロラの岬で指輪が光ってからのことだ。
 体の中をごうごうと強風が吹き荒れた。それは指輪の咆哮のようだった。
 レクスの呼び声と指輪の力によって見知らぬ都市へ飛ばされたアリアとウィルは、入り口の石碑でそこがエル-ドラドであることを知った。
 アリアは初めて自分を度々苦しめてきた伝説と対面した。
 それはただ広大なだけの廃墟だった。
















 エル-ドラドに着くなり、アリアとウィルはレクスの憲兵に発見されるという失敗を犯し、アリアは捕らえられてひとり薄暗い部屋に放り込まれた。そこから先はほとんど記憶がなく、気づいたら薄暗い緑の回廊で、ウィルに助け起こされていた。ウィルは傷だらけだった。ここにたどり着くために、ガーディアンという門番のようなものと戦ったのだという。
 部屋の奥にはレクスがいて、彼は突然語り始めた。レクスが主となりエル-ドラドを復興させるのだと。それはレクスの意思でなく、アリアの指輪がそう指示するのだと主張した。
 指輪の持ち主であるアリアでさえ指輪の声など聞いたことが無いし、元々この都の住人でないレクスにエル-ドラドの指輪がそんなことを言うはずが無い。だからアリアは思った。
 この人は狂人だ。
 ウィルも彼が狂っていると言い放った。
 だがレクスの言い分に反論する間もなく、地下回廊の床がぐらぐらと大きく揺れ出した。まっすぐに立ってなどいられない。地面は絶え間なく揺れ、エル-ドラド全体が震えているのを感じる。
「逃げなきゃ、アリア」
 ウィルは回廊の入り口を指し示し、アリアに先に逃げるよう手で促した。
「ウィルも早く!」
 壁面の表層がボロボロと剥がれ落ち、この回廊全体が間もなく崩れ始めるだろうことは、ウィルの目にもアリアの目にも明白だった。
「ほら、あんたも早く逃げるんだ!」
 ウィルはレクスに脱出を促すが、レクスは動こうとしない。
「早く逃げないと生き埋めになっちゃうわ」
「聞こえないのか、あんた!」
 レクスは宙を見て何かぶつぶつと呟いているばかりで、アリアたちの呼びかけに応じるそぶりは無い。
「あのひとはもうだめ。私たちだけでも早く逃げなきゃ」
 この一言が、アリア自身を後々まで悩ませることになるとは思いもよらなかった。



 エル-ドラドの地下迷宮は部屋を移動するたび構造が変わってしまう。
 闇雲に走っているだけではどこへもたどり着けない。だがふたりは、とにかく生き埋めにならないために当てずっぽうにでも逃げるしかなかった。
 アリアの手を引いて走りながらウィルは言った。
「レイシリョクドライヴとかジュウリョクシンとか言ってたけど、なんだかさっぱりわからないよな。せめてわかればうまく逃げる方法も見つかるかもしれないのに」
「ジュウリョクシとかって何? それはレクスが言っていたの?」
「さっき大きく揺れ出したときにエル-ドラドの声みたいなものが聞こえなかったか?」
「私には聞こえなかった…」
「そうか。地震みたいな大きな揺れに気をとられてたんだろうな」
 やがて鳥のような石像の部屋を通ったとき、ウィルが突然叫んだ。
「わかった、ありがとう!」
「どうしたのウィル?!」
「石像がとつぜんしゃべったら普通は驚いたって仕方ないよな。でも大丈夫、あれはアリアを助けるための方法と武器をくれた石像だから信頼できるよ」
 アリアには石像の話す声など聞こえなかった。
「石像が道を教えてくれたからこれで地上に脱出できるよアリア、早く逃げよう」
 その後のウィルの足取りに迷いはなく、ふたりは確かに地上に逃げのびたのだ。
 地上に出た場所は、運が良かったことに通ってきた門の見える場所だった。ふたりは門に向かって一目散に走った。
 門まであと少しというところまで来たとき、地震で建造物が崩壊するのとは違う大きな物音が聞こえた。振り返ると、遠くに人間の倍くらいの大きさをした機械が浮遊していて、あたりに火の玉を撒き散らしている。火の玉は近くの瓦礫に着弾すると次々に爆発した。機械はまだ遠くにいたが、ウィルとアリアを焼き殺そうと近づいてきているのは明らかだった。
「ガーディアン! 倒したはずなのに!」
 ウィルが苦々しい顔で叫んだ。
「アリアは先に逃げてくれ」
「イヤよ! 一緒じゃなきゃイヤ!」
 アリアはすがり付いて引きとめた。
「門まで走りぬけようよ? あの変な機械も、きっと門の外までは追ってこないわ…」
 エル-ドラドも、ウィルがガーディアンと呼んだ機械の化け物も、アリアにはどうでも良いことだった。アリアはただウィルに無事でいて欲しかった。
 地面は酷く揺れ、建造物を次々に瓦礫の山へ変えている。ウィルがあの機械を倒しても、そのままエル-ドラドと一緒に潰れてしまうに違いない。
「俺はあのガーディアンと決着をつけなきゃいけない」
「ウィル……」
 ガーディアンを見据えるウィルは少し、レクスに似た目をしていた。少なくともアリアにはそう見えた。エル-ドラドに魅入られた目だ。逃げようというアリアの頼みは聞き入れられないだろう。
「絶対、帰ってくるって約束してね。お願い……」
 せめてもの口約束をさせて、アリアは門へ向かった。




 後ろ髪をひかれながらもアリアは門の方向へ走っていた。
 必死で走りながらも頭は疑問を洗い出していた。アリアはこの都の正統な住人であるはずなのに、何故あのガーディアンという化け物はウィルと自分を攻撃しようとするのだろうか。
 元いた世界とエル-ドラドを結ぶ門までたどり着いたとき、アリアは石碑を見た。この石碑の黄金都市という単語から、ウィルはここがエル-ドラドであることを読んだのだ。

    焔月の夜、この黄金都市を永遠に封ず ――ガブリエル

 ガブリエルというのは天使の名だ。アリアもそれくらいは知っていた。その石碑を刻んだのが本物の天使なのか、天使を名乗った人間の仕業なのかまではわからない。
 焔月の夜というのが謎めいているが、単純に考えるならば月が赤く光って見えた夜か、もしくは大火災などの災害のあった夜という意味かもしれない。
 アリアは石碑の彫られた時期などが読めそうな数字を探したが見つからなかった。
 かつてエル-ドラドに住んでいた人々は、何故この都市を作りやがて封じたのだろう。ガブリエルと名乗る存在が、この都市を封ずなどと書いておきながら指輪など残した理由はなんだったのか。
 アリアにとってただひとつ確かなのは、この都市の伝説と存在がアリアとウィルを様々な危険に追いやったということだ。自分のみならずウィルまでも危険な目にあわせたこの廃墟を、アリアは許せなかった。
「こんなところ……なくなっちゃえばいいのよっ!」
 アリアは母に貰ってから外したことの無かった指輪を、廃墟の瓦礫の山へ向かって力いっぱい遠くまで投げた。
 そしてエル-ドラドに背を向けると元の世界へ通じる門を走り抜けた。
 ウィルが心配だったが振り返らなかった。
















 エル-ドラドから生還した後、冒険家のウィルには別段帰るところが無かった。アリアはウィルを家へ招いた。
 イグニスファミリーに誘拐されかけてからエル-ドラドを脱出するまで、一連の騒動はアリアとウィルにとって大変なものだった。ふたりは数日アリアの家でゆっくり休息をとった。
 身体の疲れが癒え、精神的な昂ぶりもやや収まってきた頃、ウィルはアリアが何か探しものをしているのに気がついた。ほこりを被った衣装箱をあけ、古くてカビくさい日記帳を開き、別棟の物置小屋をひっかきまわしている。そのアリアの指には、あの指輪がはめられていた。
「その指輪…エル-ドラドと一緒になくなったんだと思ってたよ」
「うん、いつの間にか手元に戻ってきてたの…」
 自分で指輪を捨てたことはウィルに伝えていなかった。
 アリアがふと気づいたときには、捨てたはずの指輪は指におさまっていた。指輪がどのようにして戻ってきたのか、アリアにはわからなかった。
「ウィルは少ししたらまた冒険にでかけるんでしょ?」
「トレジャーハンターだからね。心配しなくてもたまにアリアの顔を見におじゃまするよ」
「ウィル、お願いがあるの。私も冒険につれてって!」
「なんだって?」
 ウィルはエル-ドラドへの執着は既にないようだが、アリアが家中をひっかきまわしていたのはエル-ドラドにまつわる情報を探していたからだ。いつのまにかアリアの指に戻ってきた指輪が、彼女にそうさせたのだ。
「ばかいうな! 女の子にそんな危険なことさせられないだろ」
「イグニスさんだって女性よ。それに私、ウィルと一緒にエル-ドラドを冒険したよね?」
 ――アリアが母から聞いたエル-ドラドの伝説のひとつに、こんな話があった。
 エル-ドラドは都市そのものが意思を持ち、その大いなる意思の目は都市のいたるところに届き、一点の陰さえなく全てを見通すという。大いなる意思の目が行き届いているので、エル-ドラドにおいて人殺しや盗みなどの犯罪はおこらない。起こったとしてもすぐに処罰されてしまう。
 また意思はいつ誰が生まれて死ぬかを知っており、どこに家を作れば良いか、どこで金を取れば良いか知っていて、政はすべて都市の意思によって管理されている。そして都市は人の言葉で民に指示を与える。これは神託とも言い換えることができるかもしれない。
 そしてその神託に逆らったり都市の意思に敬意を払わなくなったりした者は、都市によって罰を与えられる。罰とは都市からの神託を請えないというもので、神託なくしてはその者はエル-ドラドで生きられなくなり自らエル-ドラドを去るしかない、というものだった。
 その話を初めて聞いた時、アリアはなんて怖い街なんだろうと思ったものだ。
 エル-ドラドが本当に意思を持っているとすれば、ウィルやレクスが都市の声を聞いたのは真実なのかもしれない。真実でなくても、エル-ドラドには都市全体を監視し管理する人知を超えた機能があるのかもしれない。アリアだけに声が聞こえなかったのも……エル-ドラドへの敬意が足りないと判断されたためかもしれない。
「だめっていってもついていく。エル-ドラドの伝説を集めたいの」
 アリアはエル-ドラドへの好奇心に突き動かされていた。なぜエル-ドラドが生まれたか、なぜ封印しなければならなかったのか、なぜこの指輪は作られたのか。そしてエル-ドラドは何を考え何をアリアに伝えようとしているのか。
「私はエル-ドラドの住人の末裔なのに、レクスよりエル-ドラドのことを知らなかったの……。だからエル-ドラドのことをもっと知りたいのよ」
 エル-ドラドがアリアと和解したがっているのか、住人でありながらエル-ドラドを見捨てたアリアへ復讐したいのかはわからない。少なくともエル-ドラドは私に手招きしている!
 何より、門を開くための指輪はアリアのもとに戻ってきたのだ。
 アリアはそう信じていた。






(08.02.18)







初めアリアを伝説など信じない現実的な女の子にしていたのですが、
プロローグで「まだ宝島を信じていた時代」とでてきてしまったので
あわてて半信半疑くらいの設定に直しました。
実際、一点の疑いなく存在を信じていた人ってどれくらいいるのかしら。

エル-ドラドに着いたウィルは「ただの廃墟だよなぁ」といってましたが
私は廃墟こそ萌えるんでオッケーです。
ぜひエル-ドラドに行きとうございます。つれてってレクス少将。

ED後もレクス少将はエル-ドラドで元気にしてると思います。