黒い猫と黒い猫3
何度目かの氷の雨が地面を削り、耳障りな音を立てた。
空気中の水分を急速冷凍し、その礫を対象に向けて発射するジュランの得意魔法である。氷のいくつかがコウモリのうち1匹の右翼を直撃し、地に落とした。コウモリは飛び上がろうとするが、ふらふらとしていて方向とスピードのコントロールが利かないようである。動きは封じた。 残るは5匹。 猫になっても、呪文はいつもどおり使えた。それを過信したのが拙かった。猫は防具など付けられない。今の自分はただの猫だ。 後衛で魔法を唱えたり回復アイテムで補助をしていれば良かった普段とは違う。魔物の物理攻撃を頻繁に受け止める前衛の戦士たちは、魔物に遭遇するたびこんなに神経を尖らせ擦り減らしているのだろうか。 とにかく一撃一撃、この姿では耐えてなどいられない。執拗なコウモリの攻撃を避けつつ、振り向き様にダイアモンドダストを放つ。猫の身体に慣れないために、うまく狙いが定まらない。先ほど1匹撃ち落したのも、隙を窺って撃った魔法のほとんどを外した末に、やっと運良く当たったものである。 ただのコウモリ相手にこんなに苦戦するなんて、考えたことなどなかった。 慣れない装備を身につけると勘が戻るまでに多少時間を要するように、猫の姿で戦えるようになるまでは慣れる為の時間が必要なのだろう。もっとも、この姿に慣れたくなど無いが。 残った5匹のコウモリがこちらへ向かって突撃する。訓練された兵などとは違い統率も無い動きである為、1匹ずつ動きを読んで確実に避けていくしかない。 まず先頭の1匹。 ピンとのびた猫の尾を捕らえやすいと考えたか、尻尾めがけて飛んでくる。まずそれを前方に跳んでかわす。 2匹目は習性どおり後方から首元を狙ってきたので右斜め前方へ跳び、続いてきた3匹目を今度は左前方の地面へ滑り込むようにして避ける。 直後、耳元で羽ばたく音を聞いた。 その後は早かった。 慌てて横に跳んで避ける。 しかし力いっぱい地面をかいた後ろ足をコウモリの爪にやられ、ほとんど転がるように着地する。 これ以上攻撃されてはいけないと無我夢中で跳んだが、 ガツン。 何か物凄い衝撃を全身に受けた。 「大丈夫?! 生きてるよね?!…」 遠くで少女の叫ぶ声が聞こえた。 そして意識は急速に薄れていった。 冷たいシーツの上にいた。 テントのなかは薄暗く、中央に置かれたランプの光が周囲を弱々しく照らしていた。 それにしても視界がぼやけている。それは眼鏡がないせいだということに思い当たり、人間の身体に戻ったことに気がついた。 覚えているのは大きな衝撃を受け、少女の声を聞いたところまでだ。おそらくあれはコウモリの攻撃で、声の主はセイニーだったのだろう。慎重に野営地を抜け出したつもりだったが、気づかれてしまったらしい。そして迷宮まで探しにやってきた彼女に救出されたのだろう。コウモリが派手に騒いでいたから場所はすぐわかったに違いない。 彼女には失態を晒してしまった。 ふ、と。 テントの外に気配を感じ、我に返ったところでとんどもないことに気がついた。 服を着ていない。 ジュランは慌ててシーツを身体に巻きつけた。とにかく全裸はまずい。 シーツを被った次の瞬間、テントの入り口にポーションを持ったセイニーが現れた。 「あれっ、ジュランっ?!」 猫を追って迷宮に入り、コウモリを退治して、テントに戻ってケガの応急処置をしてやった。しかし思いのほか傷が深かったかなかなか目を覚まさないので心配になり、低レベルの回復薬なら使わせてもらえないかと団長に頼み込んで薬を貰ってきたところだった。 寝かせておいた猫はなく、かわりにシーツ姿のジュランが出現したのだ。セイニーは持ってきたキュアポーションとジュランを交互に見て目を白黒させた。 ジュランは自分の情けない半裸の姿を思い、再び意識を失えたらどんなに楽かと思った。 「なんでジュラン、昨日からいなかったのに……あ」 シーツから伸びたジュランの左足にはざっくりと痛々しい傷があり、それは先ほど彼女が手当てした猫の後ろ足の傷と一致した。そこでセイニーはなんとなく理解した。 そして思い出さなくていいことを思い出した。 「キャットフードって、どんな味だった?」 今度こそ彼は失神したくなった。 夜は少しずつ開け始め、野営地は白みがかっている。 やっと人間に戻った彼が自分のテントに戻ったとき、なかには猫のほかに先客が居た。 「おかえりジュラン」 「…。ただいま戻りましたよ。貴方だったのですね」 金の瞳をもつ、美しい黒髪の少年だった。 「最近、探索へ一緒に連れて行ってくれないよね。以前はよく肩に乗せてくれたのに」 「階層の深化とともに魔物も強くなってきて危険なんです。心配しているんですよ」 「心配なんていらない。6人がかりでやっと僕を倒したくせに何を言ってるの?」 「それはあの水没した神殿のなかだけの話でしょう。あの外では、あなたの力は弱まります」 「……」 少年はふてくされてそっぽを向いた。 「…少しは、猫扱いされる気持ちが解った?」 「わかりました。テントは出ても構いませんが、迷宮には近づかないように」 「なんだよ。あそこ以外楽しめるような場所はこの辺に無いじゃないか!」 「おかげさまで。強力な魔法を使えても、猫が入るには大変危険な場所だということがわかりました」 にっこり笑って、彼は黒猫をけん制した。 「私に探索に連れて行けとせがまなくても、ハヅキを直接口説きにいけばいいじゃないですか」 「わかっていて無茶いわないでよ。僕は夜しか人間のかたちになれないんだから」 「ああそうでしたね。あまり迷惑をかけないようにして下さいね。私たち人間はあなたのような猫と違って夜行性じゃないんですから」 「猫っていうな!」 「あまり猫が生意気いわないで下さいね。ほら、もう朝ですから人間のかたちが揺らいでますよ」 「僕は猫じゃない!ジュランを猫の姿に変えたのだって、……」 ニャア、ニャア。 最後の言葉は朝日に消され、少年の姿が無くなった代わりに黒猫が一匹騒いでいた。 仕返しとばかりにジュランはニヤリと笑った。 「ああお腹が空いたんですか? ちょっと待って下さい、今キャットフードを用意しますから。たくさん食べてくださいね、他の猫たちと一緒に、仲良く」 フギャーフギャーと騒ぐ黒猫を背中につけたままキャットフードの箱を開ける彼は、妙に楽しげであった。 (05.04.02) |
ジュランの裸を詳しく描写したくなってしまったのは 腐が抜けきってない証拠なんだと思います。 たぶん色白で筋っぽくて体毛薄いと思う。 傭兵生活だから擦り傷とかたくさんあって、皮膚はザラついてて厚いと思う。 失礼しました。 |