黒い猫と黒い猫2
「困りました…」
本日、幾度目かのため息。 野営地の周囲は自然ばかりである。姿が猫に変わってしまった原因が見つかるとすれば、傭兵団の探索目標である迷宮に他ならないだろう。 本当なら今すぐ解決に乗り出したいのだ。 猫であることに不安はない。魔法を使えることは確認済みだ。未明に猫のまま野営地を探索した際、近くの小さな湖に魔法をかるく2,3放ってみた。 人間の言葉は話せなくとも、魔術師としての力が消えていないならばこの辺境の地で特に問題もない。しかしおそらく原因であろう迷宮へ向かって駆け出したなら――正義感が強く素直なセイニーのことだ、どこまでも追ってくるだろう。猫一匹で入ろうものならたちまち魔物どもの餌食になるだろうから。 したがって猫の姿のままセイニーに気付かれずに迷宮探索へ発つなら、彼女がすっかり寝てしまった後が良いだろう。しかし現在の時間区分はまだ午前である。まだ半分も終わっていない一日をこの姿のまま夜まで過ごさねばならないことに気づき、ジュランはめまいがした。 太陽は頂点を少し越え、昼食時である。 傭兵団全員が集合できる大きなテントのなかで、ジュランは本日最大の難関に遭っていた。 遥か高いテーブルには人間の食事が載っている。鍋にはまだ余っているのだろうが、彼の…ジュランの食事は用意されていない。 そして目の前には猫の…自分のエサ。 腹が減っている。 空腹は、食事の――もちろん人間用の――食事の匂いによって耐え難いものとなっている。 しかし猫のエサを食べるほど理性が危ういわけではない。 猫の運動能力をもってすれば、テーブルに載っている傭兵たちの食事を掠め取ることは容易い。しかし…もしこの猫が実はジュランであると知られたら面子が丸つぶれである。ドロボウ猫の真似をしておいて、一体どんな言い訳がたつと云うのだろう? 芳しい食事の匂い。カチャカチャと食器が奏でる小曲。 唾液が勢いを増して渦を巻く。 彼は傭兵だ。悲惨な食の事情には慣れている。慣れているが、それは全くもしくは僅かしか食料がない状況での話だ。この極上の匂いをかがされて、誰が空腹に耐えられるというのだろう! 「この猫、全く食べようとしないな」 「セイニーの話では朝も食べていないという話だし、ハンストとかかもしれないね」 リビウスに応えてハヅキが突拍子もないことを言う。 「ちょっと、キャス」 今度はエルフ娘の声がした。 「何だにゃん」 「アンタ、半分は猫なんでしょう。この謎の黒猫が、何でご飯を食べないのか尋ねてくれない?」 「失礼だにゃん! キャスはただの猫じゃないにゃん!」 「なぁんだ、役にたたない猫ね」 「にゃー!!」 いつものいさかいが始まったが、最早止めようとする人間はジョシュアしかいなかった。彼も最早あきらめ気味である。 「猫のことだったらジュランに聞けばいいんじゃないのかぁ?」 ティティスとキャスはジョシュアに任せ、バンが至極まっとうな意見を出す。 「そういえば今朝からずっと姿を見ないわね。どこをフラフラしているのかしら」 この声はアイギールである。 「まぁ、そのうち帰ってくるでしょう」 さもどうでもよさそうに答えたのはミロードだった。そしてそれに反論する者は誰一人としていなかった。 ……団員が自分をどのように捉えているか、心に沁みたジュランであった。 そんな中、セイニーは、団員たちの会話をどこか遠くに聞いていた。視線の先には、今朝拾った黒猫がある。彼女は彼女なりに、黒猫が食事を摂らないのを心配し、解決策を考えているのだ。 セイニーは、心優しい少女だ。 今朝のようにキャットフードをひとすくい猫の前に差し出し…そして ――――!? 猫の口を開け、むりやり押し込んだ。…彼女なりに猫を心配しているのだ。彼女は全く優しい少女なのだ。 ふたりのちょっとした格闘は1分くらい続いた。 かくして。 不本意ではあったが、空腹は満たされた。 ああ本当に今日という一日は永かった。 昼食の後、結局ずっとセイニーのテントで、ティティスとキャスにからかわれながら過ごしたのだ。ジョシュアがからかい過ぎるのはよくないと止めに入ったが、もちろん調子に乗ったティティスの前に効力は無かった。 晩もセイニーはジュランに猫用フードを食べさせようと頑張ったが、今回はジュランが勝利をおさめた。セイニーも昼は食べたのだからという安心感があったからか、昼のように口を無理矢理こじ開けて押し込むようなことはしなかった。 夜は自分の飼い猫たちとともに自身のテントに入れられたが、傭兵たちの目が届かないという点で好都合であった。 ジュランは野営地の明かりが全て消えるのを待ってテントを抜け出し、迷宮に向かって駆け出した。 (07.03.16) 》NEXT |
ジオコン世界に猫用のドライフードあるんだろうか… |