黒い猫と黒い猫1





 任務の疲れでぐっすりと眠って起きたその朝、セイニーは見慣れないものが部屋にあるのに気が付いた。
 猫。
「ジュランのところの猫かな?」
 でも、ここのテントの中にまで入り込むことなんて、いままでなかったのに。テントのファスナーなんて猫に開けられるものではない。
 迷い込んだ猫は黒猫だった。いつもジュランの肩に乗っている猫とは違う。その猫の色は闇そのものだ。しかし目の前にいるのは、例えるなら女性の綺麗な黒髪のような、光加減によって青の艶が光る美しい毛並みの猫だった。
「こんな猫…いたっけ?」
 いつもの猫の他にも黒猫がいただろうか。セイニーはもちろん彼のすべての猫を把握しているわけではないが、それでも黒猫が二匹以上いたなら目立つはずだし、覚えていると思ったのだ。
「最近拾ったのかな」
 彼に訊けばわかることだ。彼女は猫を抱えてテントを出ようとした。
 …テントのファスナーが半開きだ。ちょうど猫一匹が通り抜けられるくらい開いている。しっかり閉めたと思っていたのに。任務疲れで注意が散漫していたのだろうか。
 とにかくジュランのところへ行こう。




 しかし目当ての人物は見当たらなかった。
 猫屋敷ならぬ猫テント。主ジュランが日課にしている猫のえさやりも今日はまだのようで、猫用の食器は隅に重ねられている。
 散策にでも行ったのだろうか。それとも早いうちからの任務。
 よく考えれば不思議な猫だ。拾ったというより、どこか貴族の家で飼われていてもおかしくないほど綺麗で、気品が漂っている。古着の寝間着にショール一枚を羽織ったセイニーが抱き、傭兵たちの小汚いテントの前に立っているのがひどく滑稽であるほどに。
 ジュランは野良や捨て猫をよく拾うが、市で買うことはめったに無い。多少は本来の猫らしい生活臭が漂っていた方が愛着が湧くようだ。だが、この小奇麗な猫。
「あ、団長!おはようございます!ジュラン知りませんか?」
 団長が通りがかったので早速捕まえる。助け舟になるかは解らないが。
「ずいぶん唐突だな。どうした?」
「この猫、いつのまにかテントに入り込んじゃって。ジュランに返したいんですが見つからなくって…」
「ジュランか。探索へは出していないが」 「そう…ですか。お散歩中すみませんでした!」
 踵を返して猫を抱きなおした。
 ジュランが普段どこでなにをしているのか、よく知らない。大方猫と遊んでいるのだろうとあまり気にとめたことはなかった。
 早くも当てがなくなってしまった。
「困ったな…」




「困りましたね…」
 こちらは心中の台詞だ。
「確かに私は猫好きですけどね」
 可愛がるのと、自分が猫であるのとはまた次元の違う話だ。
 寝具がやけに重く感じた。まだ薄暗かったが起きてみれば、この世が巨大化していた――のではなく、自身が小さくなっていた。
 その後、自身の四肢に毛を生じているのに気づき、
 鍵開けの呪文の応用でテントから出、
 周囲で原因を探すも、
 いつもと視点が異なるため馴染んだ野営地で迷うという失態を犯し、
 見当で入ったテントはセイニー達のテントで、
 ……現在に至る。
 思考とは関係なく、彼は運ばれていく。
 次は、団員たちのテントへ。




 セイニーが向かった先はティティスだった。
 この件について頼りにはなりそうにないが、困ったとき真っ先に思い浮かぶのは親友の顔だ。解決にはならなくても困りごとを知っていて欲しいし、何か言葉をかけて欲しい。そういうものだ。
「じゃあその猫さ。飼い主不明、ってことでしょ」
「うん」
「じゃあさ…セイニーが飼えば?」 「…えっ」
 ――冗談じゃない!
 人間である――もしくは、人間であった――身の自分が、他人に飼われるとはどういうことだ。奴隷ではあるまいし。
「その猫、ジュランのじゃないみたいでしょ」
 当たり前だ。ジュラン『の』であるはずがない。
 その本人なのだから。
「そんなに人馴れしているんだから、こんな辺境でいきなり野放しにしたら魔物のエサになっちゃうわ。だれかが飼うか、それとも…」
「それとも?」
「この場で安らかに安楽死」
「駄目っ!!何考えてるの!」
 ジュランは思わず逃げ出そうとした。ティティスの目は、どことなく…サディスティックな悦びを湛えていたから。
 すかさずセイニーが抱きなおす。
「ほらティティス!怖がってるじゃない」
「じゃ、飼うのね」
「…でも…エサとか解らないし」
「大丈夫じゃない?ジュランのところから少し頂戴すればいいし、帰ってきたら預けたっていいじゃない」
「…そうだね」
 拾われる猫の気持ちを実体験だ。
 身の危険からは守られることになるが、…もやもやとした感じが抜けない。自分のテントにいる猫たちも、こんな気持ちで拾われてきたのだろうか。




 テントに戻ったセイニーは、やっぱり困っていた。 「誰かが飼うしか、ないんだろうけどさ…」
 安楽死などあんまりだ(冗談だったろうと思われるが)。
「ジュランが帰ってくれば、なー…」
 それで、当面の問題は全て片付く。しかしカラクリを知れば無理な話。
 黒猫(であるジュラン)をぎゅっと抱いてしばし考え込むが、じっくり考え込むのが得意な気質ではないのですぐにやめた。
 抱きしめた黒猫を胸元から一旦剥し、向かい合って話しかける。
「朝から何も食べてないし、きっとお腹すいているよね?ジュランのテントに行こう。なにかあるよ」
 ――それは…まさか。
 …まさか。




 彼の猫屋敷テントに着くと、大勢の猫が部屋の隅でじゃれあっていた。のではなく、今にも死にそうなうめき声でキャットフードの箱にたかっていた。猫のツメではうまく開けられなかったようだ。
「わっ!みんな、お腹がすいてるんだね…でも」
 ジュランは居ない。
「餓死しちゃったら困るし、いいよね」
 いつも天然ボケっぷりに苦労させられるが、彼女の勝手な判断が今はありがたい。愛猫たちの飢餓は、これで救われた。
 キャットフードは何種類かあるようだが、適当に選んで皿に空けた。猫たちはまさにケダモノの目つきで皿に飛び掛っていく。
「ん?キミは食べないの?」
 セイニーの隣の黒猫は猫たちが皿に群がる様を凝視するだけで、食べようとはしない。
「おなか、空いてないのかなー?」
 それとも、群がる猫たちを掻き分けて食料にありつくほどの元気がないとか?
 そう考えた彼女は…気を利かせたつもりなのだろう、ひとすくい『エサ』を黒猫の前に差し出した。 「ほら、食べて」
 ジュランの背筋が急速冷凍される。
 自分は猫だが、本来は人間だ。確かに少々空腹を感じているが、人間のプライドを投げ出してキャットフード…『エサ』にありつくか?!
 もちろん否。
 彼のプライドの高さは傭兵団屈指だ(わずか16人であるが)。空腹ごときにそのプライドが破られるわけが無かった。
「これからキミの里親や居場所を探すためにあっちこっち移動することになるから、いま食べて。いつ戻ってこられるかわからないから、ね?」
 『ね?』といわれても頷くことは決してできない。
 獣の姿に変わり果てた今も、脳内に根付く人間の記憶と誇りにかけて。
「お願い、食べてよぅ〜っ!」
 セイニーは必死に黒猫に向かって懇願し食べさせようと努力したが、とうとう彼は人間の誇りを曲げなかった。








(05.01.05)
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完結しなかったらごめんなさい(何ですって)。
プロットもどきだけは完成しているのですが進まない。ぅぅ。